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「戦って候~不屈の武将・山上道牛」を読みました

上州の山上城の城主で、後に佐野家、豊臣家の直臣となり、牢人後は上杉家として最上義光と戦った山上道牛について、近衛龍春さんが書いた「戦って候」を読みました。
副題は不屈の武将・山上道牛です。

昔に花の慶次を読んで、山上道牛という人物を知りましたが、この本を読んで、まさか城主だったとは思いませんでした。

漫画では、前田慶次郎と同じ牢人として描かれていたので、昔はどこかの家臣だったとは思っていましたが、城主という立場だったとは意外です。

ただ、城主でありながら、薙刀を振り回し、敵をぶった切る様子は、漫画と同様で、活躍の様がよく分かります。

元々は、山上氏秀という名で、北条家の攻撃により山上城が落城した後に、形式上出家し、山上道牛と名乗ったとしています。

北条家を生涯の敵として、反北条家であった佐野豊綱の家臣となり、北条家と対峙します。佐野家の居城は、信長の野望でもおなじみの唐沢山城で、堅城として知られています。

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名前からしてどんだけの山城なのかと思っていましたが、実際に行ってみると、標高250mくらいの唐沢山に造られたお城だそうで、後に北条家に攻め込まれた際に、上杉謙信が単身で唐沢山城に助けに行ったことでも知られています。

佐野家は当初関東管領である上杉側にいましたが、後に上杉謙信に背信し、何度か上杉謙信に攻められることになります。

それらの戦を通して、山上道牛の名は北条家だけでなく、上杉家にも知られることになったようです。

関東まで織田の勢力が増してくると、滝川一益傘下に入り、この時に前田慶次郎と知り合うことになります。

豊臣の時代になると、佐野家は北条よりになるため、豊臣家の直臣になったようです。そのため、念願の北条攻めでは、気合満点となるのですが、上杉家や前田家を中心とする北国軍に組み込まれて、館林城と忍城攻めしか参戦できない不遇を味わいます。

しかも、この組み合わせは石田三成が大将となる軍となり、ロクな戦いができないまま終戦となり、悲運感が高まる様子が分かります。

この後、再び佐野家に居づらくなり、牢人として過ごしているところに、上杉家から仕官の話があり、会津の地で関ヶ原の戦いのシーズンを迎えます。

この頃は、もう山上道牛は70歳となっていたようで、昔の寿命で、その年齢で戦場に立ち活躍できる、というのはすごいです。

ちなみに、前田慶次郎は5歳~10歳くらい年下のようで、こちらもすごい体力ですね。

最上家との戦いでは、直江兼続と共に殿軍に入り、前田慶次郎と共に活躍しますが、流れ弾に当たり命を落とす形になります。

花の慶次では前田慶次のおしっこで弾痕の消毒をする場面がありましたが、この本ではここで命を落とす形となっていました。

城主としては活躍できませんでしたが、一介の武将、というよりは一介の武士としてはすごい活躍をした人物だったようで、その活躍ぶりがいろいろと見えてよかったです。

お勧め度は★★★☆☆です。

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関連リンク:

  • 唐沢山城
    関東七名城の一つで、上杉謙信との戦いで有名です。
    最終訪問日:2014/10/12

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