« 「織田有楽斎」を読みました | トップページ | 「福島正則~秀吉天下取りの一番槍」を読みました »

「名将大谷刑部」を読みました

豊臣秀吉の子飼いの武将の中でもひときわ人望の厚かった大谷刑部吉継を南原幹雄さんが描いた「名将大谷刑部」を読みました。

この本では、羽柴秀吉に登用される頃から、関ヶ原の戦いに敗れて自刃するまでが描かれています。

大谷刑部は秀吉から大軍を指揮させてみたい、と言われたエピソードがあります。
最初、大軍を指揮させる機会がなかったのかと思っていましたが、この本では武将としての能力が高いが、それ以上に官僚としての腕を買っていた秀吉が、他の武将派のように戦場に出さず、手元に置いていたのを悔いているような内容でした。

秀吉の子飼いの武将の活躍でいうと、賤ヶ岳の戦いが有名です。
ただ、大谷刑部は七本槍に名を連ねていません。
何でかと思っていたら、直前に城の明け渡しなど交渉を行い、開城させていたため、戦場に入るのが遅れてしまったとのことです。

これが大きな分岐点で、七本槍に入っていれば、後年のような人生はなかったような気がします。大谷刑部もそう感じているらしく、奉行職に喜びを感じながらも、戦働きができないもどかしさに終生悩んでいたようです。

大谷刑部といえば、無二の親友である石田三成が有名です。
なぜそこまで、親友でいられたのか、ということについて、この本では秀吉の登用前に同じ寺に勤めていたとしています。
そこで、三成の有名なお茶三杯の話も登場し、これにも大谷刑部が絡んだエピソードとなっています。

楽天で買うならこちら↓
【送料無料】名将大谷刑部 [ 南原幹雄 ]

【送料無料】名将大谷刑部 [ 南原幹雄 ]
価格:780円(税込、送料込)


Amazonで買うならこちら↓

そんな古い付き合いであるからこそ、三成に対して、苦言を呈したりできるし、自分以外信用しない三成も大谷刑部にだけは心を許していた、というのも分かりました。

大谷刑部は関ヶ原の戦いでは、石田三成と共に西軍につくことになります。
最初は徳川家康の上杉征伐に従軍しようとしましたが、それも上杉景勝と徳川家康との間を取り持ちたいということがあったとしています。
さらに、三成も従軍させて、徳川家康との間を取り持とうとしていたが、結局、石田三成を取ることなりました。

一般的に、負けると分かっていて親友を取った、されていますが、この本では、病を患い残りの命が少ないのと、ずっと戦働きのチャンスがなく、天下の名将である徳川家康相手に大戦をできるチャンスをものしたい、ということがあったとしています。

単に、親友のために、家臣を路頭に迷わせるというのは、大谷刑部ほどの武将にはないような気がしていたので、納得いきました。まさに、この説のために、この本の前半があったのでは、と思うような感じでした。

しかし、その割には、なかなか思うように駒が進まず、結局敗れるようになりました。

ところで、大谷刑部は小早川秀秋の裏切りを予想し、伏兵を配置して、何度も押し返したとされています。大谷軍はほとんど戦の経験がないはずですが、なぜこれほど強かったのでしょうか?、という疑問は残念ながら解消されませんでした。

そういえば、忍城での戦いでも、正木丹波守が守る佐間口で手痛い目にあっていますので、大谷軍の真の強さというのがいまいち分かっていない気がします。

お勧め度は★★★★☆です。

関連リンク:

« 「織田有楽斎」を読みました | トップページ | 「福島正則~秀吉天下取りの一番槍」を読みました »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「名将大谷刑部」を読みました:

« 「織田有楽斎」を読みました | トップページ | 「福島正則~秀吉天下取りの一番槍」を読みました »

Google Adsense


サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

楽天市場オススメ商品


パーツ

最近のトラックバック

無料ブログはココログ